よみもののきろく
(2005年8月…159-170)
中段は20字ブックトーク。価格は本体価格(税別)。
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2005年8月の総評 | ||||||
今月は12冊の本を読ませて頂きました。 ますますヒートアップ中ですな。 長編8冊、短編2冊、その他2冊。 圧倒的に長編が多い。 しかも非常に大作が多く、読むのに苦労しました。 椹野 道流3冊、森 博嗣3冊、その他の方々各1冊。 さて内容。 評価としてはかなり、どんぐりの背比べ状態だったでしょうか。 これは駄作!というものには出会いませんでしたが、 最高傑作!というものにも出会っていないような。 菜の花的2005年8月のベストは 「堕ちていく僕達」 森 博嗣 (評点 4.0) 森博嗣、2回目のベスト入りです。 連作短編集で、特に何かのシリーズには属していません。 森博嗣としては珍しい、とんでも設定の不意打ちに驚き、 その配置の妙に思わず拍手な、コミカルストーリーです。 でもでも、コミカルなのに切なかったり、 一筋縄では行かない作品でありました。 以下、高評価したのは 「真説宮本武蔵」 司馬遼太郎(評点3.5) 「海月奇談(上)(下)」 椹野道流 (評点3.5) 「奥様はネットワーカ」 森 博嗣 (評点3.5) 「鄙の記憶」 内田康夫 (評点3.5) 「真説宮本武蔵」は司馬遼太郎の剣客物短編集。 表題作の宮本武蔵は勿論、千葉周作や京都吉岡家など、 超有名どころを描くだけでなく、ミステリ含みの作品や、 何とフェンシング使いの外国人を主人公においたりと、 読者を飽きさせない作品集に仕上がっています。 「海月奇談」はヤングアダルト向けの講談社X文庫ホワイトハートから 刊行されている、オカルトを扱った「奇談」シリーズの1作。 シリーズ中でも最大の悲劇、やり場のない悲しみを どこにもっていっていいのか分からないキャラを描いた作品。 シリーズを通して読んでいないと分かりづらいかも。 「奥様はネットワーカ」は森博嗣の新感覚ミステリ。 ポップでポエティ、フーガでホラー。 コジマケン氏のイラストが映える作品です。 「鄙の記憶」は内田康夫の「浅見光彦」シリーズ。 1部と2部で舞台も主人公も違うという変則型。 フーダニットの旅情ミステリです。 さて、今月はここまでで。 |
159. 「楽園奇談」 椹野 道流(ふしのみちる) | ||||||||||||||||||||||||||||||||
2005.08.01 | 長編 | 284P | 600円 | 2002年12月発行 | 講談社X文庫ホワイトハート | ★★★★★ | ||||||||||||||||||||||||||
思い出のテーマパークで過ごすクリスマス | ||||||||||||||||||||||||||||||||
この暑いのに真冬の表紙です。 ふわふわと可愛いけど…やっぱ暑い! これ、冬に店頭で見つけたら嬉しかっただろうな、子供の頃なら。 今はただただ、この表紙の本を借りるのが恥ずかしいお年頃です(苦笑)。 <100字ブックトーク> クリスマスイヴ!特製ローストチキンの食卓を 和やかに囲んでいた天本と敏生に、 テーマパークの浄化という新たな依頼が舞い込んできた。 そこは以前、天本が術者として半人前だった頃、 関わったことがある場所だった。 (100字) 何かブックトークが完全なあらすじになってるよ…。 ほんとはそういうものじゃなくって、 その本の魅力について語るもののはずなんですが…、仕方ない。 菜の花の力量が足りないのです。来年からついに念願の司書 (というか図書館職員)なのにな。。。もっと研鑽せねば。 クリスマスイヴです。普段から、天本の特製料理は 「一度は食べてみたいぞ!」というよだれものなんですけど、 今回はイヴということでこれまた素敵な腕前を見せてくれています。 多分、このシリーズの8割以上の読者が 「今回の天本の料理」を楽しみにしているかと思われますね。 うーん、いいな、こんな旦那が欲しいです。 本作は以前登場のテーマパークの浄化再び、なのですが 前作と違ってこの依頼自体には大きな山場はありません。 代わりに「あの人」が登場して全体を盛り上げてくれますが。 突発事項であって、依頼とは関係はありませんが、 それをうまく組み込んでいる組み立ては見事です。 全体としてはいつものほのぼのしているけれど、 一角では微妙に緊張した人間関係…という描写が中心で、 現在と過去をからめて小さなエピソードをちりばめた、小さな物語であります。 しかし飽きません。作者に、飽きさせないだけの ストーリーテーラーとしての能力があるということでしょう。 |
160. 「堕ちていく僕たち」 森 博嗣 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
2005.08.03 | 連作短編 | 258P | 1500円 | 2001年6月発行 | 集英社 | ★★★★★ | ||||||||||||||||||||||||||
男は女に、女は男に!?そのとき僕たちは… | ||||||||||||||||||||||||||||||||
森博嗣では珍しい、普通の小説の連作短編集です。 <100字ブックトーク> 謎のラーメンを食べて女になった先輩後輩の男2人、 男になった同人仲間の女2人、逆転した男女のカップル…。 彼らの反応は驚くほど様々で、一様ではない結末が用意されている。 あなたには次の結末が見えるだろうか? (100字) 堕ちていく僕たち Falling Ropewalker 舞い上がる俺たち The Beautiful in Our Take off どうしようもない私たち The Beat of Rolling Rubbish どうしたの、君たち Prety You and Blue My Life そこはかとなく怪しい人たち The Phantom on People's Head まずは森博嗣らしからぬ設定に驚きました。 科学者ですからね、物理的にあり得ない設定は幻想小説でも 殆どしないタイプだと思っていたので、 「ラーメンを食べて性転換する」なんて とんでも設定でやってくるとは思いもよりませんでした。 不意打ちだ! しかし、これについては何も言及はなく、 キャラたちはみな、「あ、変わっちゃった」と淡々と受け止め、 ラーメンを調べることもしない…。 「ラーメン」というのは単なる読者への合図に使っている訳です。 連作で、どの作品にもラーメンが登場するのですが、 これが「性転換」の合図だと、読み進めていくうちに 読者は暗黙の了解だと納得し、信じていくわけですね。 それが後半の作品のキーポイントになっている、 という作りは、大変面白く、巧いと思います。 前半2作は対と言ってもいい作品で、4人の男女が それぞれ性転換してしまい、それが物語の方向性を決めています。 しかしそれに対する彼らの反応は違っています。 どちらも1人称の主人公は歓迎している節がありますが、 相方はどちらも比較的破滅の方向に向かっていくのです。 特に「舞い上がる俺たち」は途中の展開と ラストのまとめ方の切なさに驚きました。 3作目は事後報告、という形で、死者が語ります。 前半2作と違い、性転換は不慮の事故であって、 物語の展開には殆ど影響を与えていません。 そしてラストの方にいって初めて読者は 「ああ、暗黙の了解ね」 とうなずくことになります。 物語の配置上では本作の役割は、この暗黙の了解の確認、 ということになるでしょうか。 4作目はそれまでの作品とは一線を画していて、 1作目で起こったことを観察者の視点で描いています。 観察者は隣人…というかむしろストーカーですね、これは。 そしてラスト…、きっとここまで読み込んできた読者には 「ほほぅ…」とこの後に起こることが予想できることでしょう。 5作目はまた、がらっと話が変わっていますが、 これまでの4作を踏まえてくると、 物語の見方が変わってしまいます。 これは他の作品を読まずに読んでしまっては勿体無い。 読者の先入観こそが、物語を面白くするのだということを 教えてくれる作品です。配置の妙ですね。 |
161. 「ボケない脳をつくる7つの習慣」 高田 明和 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
2005.08.06 | 実用書 | 222P | 1400円 | 2000年11月発行 | 竹内書店 | ★★★★★ | ||||||||||||||||||||||||||
脳にボケがあっても無症候で元気に生きる! | ||||||||||||||||||||||||||||||||
またまたボケです。 いやもう、すっごく気になっててさー。 ほんとに最近、やばいんですよ。 直前にやってたこと、忘れちゃったりしてね(←危険)。 <100字ブックトーク> 多くの人は、歳とともに徐々に脳の機能が衰えていく。 この衰え方をなるべくゆっくりにし、 老年になれば誰にでもある小さな脳梗塞を無症候にし、 元気に老年期を過ごすために今出来ることを、 医学的見地に基づき提案。 (100字) 同著者で既読の「安心して読めるボケの話」の類似書です。 丁度1年後の出版で、日進月歩の医学分野ですから 内容的にも一歩進んでやや新しくはなっているようです。 一般の方にも分かりよいようななるべく平易な言葉での 脳の仕組みなどの説明があります。 勉強慣れしていない読者にとってはやや厄介かもしれませんが これを読むのを「ああ、面倒だ」と思い始めたらボケかもしれません。 ボケると説明書を読まなくなるらしいのです。 何でも短絡的に考えずに、原因やメカニズムを理解することが ボケを防ぐ方法なのかと思われます。 その意味で、この本は読むだけでボケにくくなるのかも!? また単なる解説書に終わることなく、タイトルからも分かる通り、 実際的なこともよく書かれています。 つまり、歩きましょう、こういう食事を心掛けましょう、というような。 更に、よい睡眠をとりましょう、明るいところに出ましょう、など 他の本ではあまりお目にかからない章も。 それぞれにきちんとした理由があり、その理由を裏付ける 学術的データも紹介されているという周到さ。 これを見ると、思わずあなたも実践したくなるかも? とりあえず、菜の花もボケないように頑張って生活していきます。 もしかしてこの著者よりもボケてたらやだなあ。 (著者は菜の花より44歳年上…70歳か。まだまだボケる歳じゃないな)。 |
162. 「姑獲鳥の夏」 京極 夏彦 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
2005.08.10 | 長編 | 630P | 800円 | 1994年講談社ノベルス 1998年9月発行 |
講談社文庫 | ★★+★★ | ||||||||||||||||||||||||||
京極堂のよる憑物落としのシリーズ第1作 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
京極夏彦、初読みです。 イメージとのギャップに驚き。 <100字ブックトーク> 古本屋にして陰陽師の京極堂が、 憑物を落として事件を解きほぐすシリーズ第1弾。 東京・雑司が谷の医院の娘は妊娠二十箇月。 その夫は密室から失踪したという。 文士・関口や探偵・榎木津らの推理を超える意外な結末! (100字) まず驚きました。時代設定が現在じゃないんですね。 菜の花が生まれて以降に出版されていて現代物じゃないこの手の小説は あまり読みなれていなかったものでちょっと違和感でした。 色々とですね、現在と感覚が違うようなこともあるじゃないですか、 時代が違いますとね。だから理解出来ない表現とかあったらどうしよう、 と思ったのですが、考えてみれば作者は現代人ですから、 それくらいのことはお分かりなんですね。 戦時中の記憶を思い出したりする主人公ですが、 特に置いてけぼりな感じはなく、「そういう時代もあったんだな」 「こういう回想をする人もいたんだな」と思うばかりでありました。 序盤で相当ページを費やしているのが京極堂と主人公・関口の会話。 テーマは「この世に不思議なことなど何もない」と言ってもいいかも。 人々の心にある「常識」を掘り起こさせ、突き崩し、 一本筋の通った、「京極堂理論」を展開していきます。 ここで語られることは、著者が読者に物語の「前提」として 確認し、受け入れておいて欲しいことなのでしょう。 関口は(ちょっと自己崩壊しながら)真っ向から受け止めます。 読者は、彼なのです。ここで読者もショックを受けるのです。 そして話が、始まります。 文士の関口、古本屋の京極堂、探偵の榎木津、警官の木場、 それに行動派の編集者の京極堂の妹など、個性あふれすぎなキャラたちが 不気味な噂の事件に巻き込まれていきます。 語り手である関口は、鬱病の既往があり、しかも何やら事件について 曖昧模糊としているながらも繋がりがあるような記憶が断片的に現れます。 元々、感傷的な関口の性質のせい、それから微妙な時代設定ゆえに、 語り手を通して読者が見るこの世界は奇妙な靄に包まれた、 セピア色の風景画のように見えます。 京極堂は理を尽くして、不思議はない、すべてに説明がつく、 というような姿勢ですが、語り手の関口が多分に詩的で感傷的なために とても奇妙な雰囲気が全体に広がっていくのです。 |
163. 「琴歌奇談」 椹野 道流(ふしのみちる) | ||||||||||||||||||||||||||||||||
2005.08.14 | 長編 | 296P | 630円 | 2003年4月発行 | 講談社X文庫ホワイトハート | ★★+★★ | ||||||||||||||||||||||||||
出雲小旅行から帰ると、恋人は消えていた… | ||||||||||||||||||||||||||||||||
まだちょっと冬模様の表紙です。4月発行なんだけどなあ。 いや、だからこそ、書く方としては真冬だったんでしょうね。 <100字ブックトーク> ほんの一泊の小旅行。絵の師匠と出雲に出掛けた敏生だったが、 帰宅すると天本の姿も式神の気配もどこにもない。 家内には乱れた様子もなく、天本だけが忽然と消えている…。 敏生の戦いを描く、奇談シリーズ第18弾! (100字) 無理矢理、あらすじに付け足してみました。あう。 今回は天本行方不明ということで、敏生奮闘。 ですが、龍村なしではこの活躍はありえなかったでしょう! やっぱり龍村はすごいぞ! 仕事のやりくりしてる、哀愁漂う姿もグッドですぞ! そして、新キャラ。 一見さん…、で終わらすには惜しすぎるでしょう?これ。 なので、きっといつか再登場するとみました。 そう、天本系じゃない、別系統の術者、初お目見え。 しかも、これは一筋縄ではいかないお方ですよ。 必見でしょう。 ほんとは一押しキャラに入れたいくらいでしたが、 巻頭のキャラ紹介にも出てないくらいだし、 折角だから伏せておきます。 そういえば天本が行方不明してくれたお陰で、 今回は、天本のクッキングショーがなかったな。 残念!これが一番、お楽しみなのに!(え!?そうだったの!?) 早川さんが一応、ちゃんと本業でもしっかり働いていて、 本業をおろそかにすることなく折り合いつけて頑張っていたことが発覚。 いやいやいや、嬉しいね。信じてたよ、早川さん! |
164. 「小説「聖書」旧約編(上)(下)」 Walter Wangerin 著 / 仲村 明子 訳 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
2005.08.17 | 長編 | 446P, 430P | 各648円 | 2000年6月発行 | 徳間文庫 | ★★★★★ | ||||||||||||||||||||||||||
今蘇る、不動のベストセラー旧約聖書の世界 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
聖書です。世界一のベストセラー、世紀のロングセラー。 古文体で、やたら断片的で、読みにくさでも世界一かもな聖書。 (…何て言ったら、物が飛んでくるかな…。) その聖書をヴィジュアルで動的な、 一大絵巻に組みなおしたのが本書です。 <100字ブックトーク> 聖書におさめられた無数の小さな物語が、 壮大な絵巻物のように統一性を与えられ、 生き生きとした人物描写によって今、蘇る。 映画を観るように流れていくストーリー。 旧約聖書はかくも波乱万丈の人間ドラマだった…! (100字) 聖書。キリスト教徒やイスラム教徒の皆様ならおなじみのこの書物。 一般人たる菜の花にとっては、なかなか近寄りがたい作品であります。 かつて一度は、ハードカバーのあの聖書というものを読んでみましたが、 とにかく言葉は古いし、断片的で読みづらいことこの上なし。 解説なしで読むのは苦痛かも、と思った次第。 一番問題なのは、古典作品では普通なのですが、 事柄の事実だけが列挙されていて、それを起こした動機など、 その人間の思考に関わる部分が紹介されていないこと。 当然と言えば当然。何故ならその人物の内面の実際のところとは 外から見た人間(記述者)には所詮、想像するしかない、 うかがいしれないものだから。記述者の主観で書き記せば、 それを更に読者が主観で読むことで、2重の主観が入り込み、 もとの描かれたものを客観的に見る目は失われていくはずです。 歴史書としては、少なくともその形式は頂けない。 だから、客観的事実のみを列挙するこの書物は、 ある種信頼がおけると言ってもよいのかもしれません。 ま、読みにくいのは確かですが。 本作はそれを分かりやすく色をつけ、 「ワンゲリン風聖書物語」として描かれてた作品。 これを聖書のすべてだと思ってはいけないけれど、 ワンゲリン氏の主観を通してみた聖書の世界はこんな感じ… ということでしょう。あの古めかしい聖書よりも はるかに読みやすく、ストーリーがつかみやすくなっています。 聖書を知らない人間にも、内容が分かりやすく、 また聖書をこれから読む人間には、全体の流れを把握した上で 本当の聖書をきっちり読み込んでいくためには絶好の前哨戦ですね。 しかしそれにしても神様って神様って…。 菜の花はキリスト教徒にはなれないかも。 |
165. 「封印サイトは詩的私的手記」 森 博嗣 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
2005.08.25 | エッセイ | 562P | 1800円 | 2001年7月発行 | 幻冬舎 | ★★★★★ | ||||||||||||||||||||||||||
森博嗣日記本、第3弾!森博嗣の日常とは? | ||||||||||||||||||||||||||||||||
「すべてがEになる」「毎日は笑わない工学博士たち」に引き続く 森の日常が描き出された日記本第3弾。 <100字ブックトーク> 森博嗣の公開サイト上で書き溜められた日記をまとめた、シリーズ第3弾。 1999年の森博嗣の日常がこれで分かる!? 特典として古屋兎丸氏の書き下ろしオリジナル漫画や、 森博嗣自身の過去の漫画作品なども掲載中。 (100字) 何というか…、慣れてしまいましたね、森博嗣節。 シリーズの第1作、2作、と続くにつれて評価が浮遊中。 さすが浮遊工作室(←森博嗣の公開しているサイトの名前)。 最初の頃は、何故か許せないくらい気に入らなかったのに、 (そうだったの?)気付いたら読まずにはいられないくらいです。 これを人は、魅了された状態とでも呼ぶのでしょうか。 しかし。相変わらず読んだからといって 何か得をする、というような内容では在りません。 ま、創作小説自体、そういうものなわけで、 必ずしも役に立つ、即戦力にならなくてはならない、 というものでもないので、別にこれはマイナスではありません。 そう、さらりと読めて、1日1日の内容は独立性が高く、 しかし一貫性があり(そりゃ同じ人物の時系列ですから)、 このさらっと感はいつでもどこでも誰でも、 読みやすい!本であるための条件かも。 初期に比べて、慣れてしまったためなのか、 はたまた書き手の心境に変化があったのか、 ややソフトになった気がします。 コアなファンのためのアフターサービスであったものが、 将来出版するという、大衆向けという広がりを見せたための 書き手側の変化かなあというのが菜の花的解釈です。 毎度恒例、付録の漫画は古屋兎丸。 すみません、知りません…。 「あみと森くん」というオリジナル漫画12P掲載です。 何だかとってもよかったです。ラストがね、感動的ですね。 こんなの欲しいなー。バグると超大変ですけどね…。 |
166. 「真説宮本武蔵」 司馬 遼太郎 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
2005.08.25 | 短編集 | 286P | 495円 | 1883年7月発行 | 講談社文庫 | ★★★+★ | ||||||||||||||||||||||||||
司馬遼太郎が描いた、剣客たちの短編集 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
司馬遼太郎大先生ですよ! <100字ブックトーク> 生涯六十余度の仕合を重ね、 一度も敗れなかったと言われる宮本武蔵。 通説の裏に潜む実像、人間としての武蔵の 真説に迫る表題作ほか「京の剣客」 「千葉周作」「上総の剣客」「越後の刀」 「奇妙な剣客」の剣客短編集。 (100字) 司馬遼太郎の著作は、一言で「生き生きと楽しい歴史教科書」 って感じでしょうか、菜の花的に。 膨大な資料を収集し、取り込み、それを著者の中で咀嚼し、 解体し、再びひとつの姿に組み上げ、それを絵巻物のように活写する。 それが司馬遼太郎という作家の持ち味だと菜の花、理解しております。 さて、本作品は全6編の短編集。 様々なカラーを持った作品が寄り集まっていますが、 共通点は「剣客」が物語の主軸にいるということ。 そう、血沸き肉踊る剣客物ですよ!…と言いたいところですが、 実際のところそうだとも限らないのが一筋縄ではいきません。 表題作を例にとってみましょう。 「真説宮本武蔵」はかの有名な宮本武蔵の実像に迫る短編。 宮本武蔵の大活躍が描かれているのか!と思いきや、 それだけではなかったりします。どんなことが描かれているのか? それは武蔵の姿。表も裏も、戦時も平時も、活躍も挫折も。 宮本武蔵と言えば、無敵の剣客、後世これほど名を残した剣客は いないと言っても過言ではない超有名人。 存命中からさぞかし恐れられ、多禄をもってして召し抱えたい という者は数多で、それに対して権力を嫌い、あくまで剣客として 生き抜きたい、という意思を持って生き抜いたのか… と勝手に思っていました(ちょっと菜の花、無学すぎます?)。 ところがどっこい、彼の人生はこんなに挫折と不幸にあふれ、 そこから這い上がるため、権力を手にするために尽力した、 という「意外すぎる」武蔵像が描き出されています。 印象的なのは、これを描く著者の目の冷静なこと。 著者は、著者なりに得た「武蔵の真の姿」を色眼鏡を通すことなく ただ淡々と語るのです。それは非難でも賞賛でもない。 私情を排したその筆致は、冷たくもあり、頼もしくもあります。 読者にとってはその受け止め方に何の制限もないため その自由度に戸惑ってしまう人もいるかもしれません。 しかし、どう受け取っても構わない、というこの姿勢、 著者は舞台を用意した、あとはすべてを読者に任せ どのように踊ってもらっても構わない、というこの姿勢、 読書の醍醐味のひとつに間違いありません。 残りの短編は、 武蔵と戦ったとされる京都の吉岡家の宗家兄弟を描いた「京の剣客」、 表題作同様に1人の人間の生涯にスポットを当てた「千葉周作」、 千葉周作の四天王と称された森要蔵を描いた「上総の剣客」、 一振りの刀を巡るミステリ含みの「越後の刀」、 何と日本を目指すバスク人のフェンシング使いを描いた「奇妙な剣客」 と、何とも彩り豊かであり、きっと読者を飽きさせることがないでしょう。 |
167. 「海月奇談 (上)(下)」 椹野 道流(ふしのみちる) | ||||||||||||||||||||||||||||||||
2005.08.27 | 長編 | 270P 282P |
580円 600円 |
2003年8月 同10月発行 |
講談社X文庫 ホワイトハート |
★★★+★ | ||||||||||||||||||||||||||
来るべくして来た破綻、シリーズ最大の悲劇 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
シリーズ中、二回目の上下巻。これは…長そうだ。わくわく。 <100字ブックトーク> 割れた眼鏡を残して行方不明の河合。 同行者の早川は重傷を負って入院中。 そして龍村と敏生、ついには小一郎まで…。 シリーズ最大の悲劇、知らなかった罪、 知ろうとしなかった罪が崩れるように怒涛となって天本を襲う (100字) うーん、悲劇です。しかも計算された。 著者が最初から…、少なくともシリーズの初期から このエピソードを設定し、随所に種を捲き続けていたことに 今更ながら気付く思いです。そうか、もっと読み込んでいれば この事実には気付けたかもしれないのですね。 でも、実際にはキャラたちには気付くことが出来なかった…、 それぞれのキャラに示された「ヒント」が断片的すぎて、 読者のようには推理することが出来なかったから…。 だから読者がいくら気付いても、やっぱりこの悲劇は起きた訳でして、 ま、気付かなかった方がむしろ、唐突感があって楽しかった! ってことにしときます。 それにしても劇的。ストーリー全体には大きなひねりがなく (と言っても勿論随所に工夫は散りばめられているし オリジナリティーも感じられる) ごくオーソドックスな行動を続けるキャラたちですが、 事件の提示の仕方が巧い。何だか訳が分からない間に ぐっと引き込まれていきます。序盤は特に、ミステリ仕立て! という感じで(まあ謎の傷害事件なのでほんとにミステリ… 推理小説なのかもしれないんですけど)、面白かったですね。 オーソドックスと言っても、誰が悪い、という訳でもなく、 共感できる人間の弱さや脆さを前面に押し出した感じの、 古い勧善懲悪タイプではないから、ああ、現代作家だなあと思います。 量もたっぷりで、読みごたえのある作品でした。 |
168. 「奥様はネットワーカ」 森 博嗣 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
2005.08.29 | 長編 | 224P | 1600円 | 2002年7月発行 | メディアファクトリー | ★★★+★ | ||||||||||||||||||||||||||
6人の視点から事件を追う新感覚ミステリィ | ||||||||||||||||||||||||||||||||
ポップで可愛い表紙が目をひく、楽しげな本です。 <100字ブックトーク> 内野智佳が秘書として勤める大学周辺で暴行傷害事件が多発。 彼女の周りでも不気味な出来事が続き、 友人のルナも被害者に。 大学の工学部を舞台にそれぞれ秘密を抱えた6人の視点で 連続殺人事件を追う新感覚ミステリィ (100字) これは確かに新感覚。あまりお見かけしない形式です。 帯には「ちょっとフーガな新感覚ミステリィ」 「ちょっとホラーでポエティカルなミステリィ」 「森ミステリィの詩的世界」とか、 装飾過多じゃない?と思えるくらいのあおり文句。 でも、大体、正解。嘘じゃなかった、と読後に言える作品です。 どの辺りが新感覚か?それは形式。 大変短い…、大体1Pくらいの量ごとに視点が変わります。 単に変わるだけでなく、それぞれが「サエグサ1」とか 「イエダ5」とか、章わけがなされています。 そしてそれぞれの章題ごとにコジマケン氏の ポップで可愛いミニイラストが! これも帯からの引用ですが 「コジマケンとのコラボレートによって生まれた」 とのこと。まさに、まさに。連続殺傷事件なんです、 本来はもっと暗く陰鬱になっていく雰囲気を すっかり変えてしまっているのはこのイラスト。 イラストが雰囲気を作ってしまっている、そんな感じ。 でもその雰囲気がとってもいい。 しかもこの形式を巧いこと利用しての一種の叙述ミステリィ。 何がかは勿論、読んでのお楽しみです。 それからポエティな部分。文字通りです。 誰の詩なのか…、恐らくXなのではないかと推察されるような… もしかしたら著者の感慨かもしれませんけど…、が 随所に挿入されています。 それにしてもホリ、ただものじゃないな…。 ちょっとフーガでホラーでポエティでポップな新感覚ミステリ。 とりあえず、イラストの可愛さだけでも見てみて下さい! |
169. 「ブギーポップ・バウンディング ロスト・メビウス」 上遠野 浩平 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
2005.08.30 | 長編 | 316P | 570円 | 2005年4月発行 | メディアワークス電撃文庫 | ★★★★★ | ||||||||||||||||||||||||||
メビウスの輪のように表裏のない異界の迷子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
久々にブギーポップを読みました。 よみもののきろくでは初登場ですが、 菜の花自身は一応、ここまでの全作品に目を通しています。 でもすっかり忘れてしまって…。ちゃんと分かるかしら…。 <100字ブックトーク> ブギーポップに復讐する− その執念にとりつかれた少年が、内気な少女・織機綺と共に 「牙の痕」と呼ばれる地に足を踏み入れたとき、混迷は幕を開けた。 己の迷いに気付けない少年と迷いの弱さに悩んでいる少女の物語。 (100字) いやいやいや、久し振りだ!懐かしい名前が続々と。 このシリーズの一番の問題は、全部読んでないと ちっとも人物関係が分からないだろう、ってことですね。 いきなりこの作品だけ読んでも駄目です、きっと。 全然、意味が分からない単語も続出かもしれません。 作風はシリーズ全体でやはり変わらず。 このタイプは好き嫌いがはっきり分かれる作品かも。 いや、好き嫌いというよりも理解するかしないか、でしょうか。 事象を愉しむ作品ではないのですよね。 主な役者は思考、でしょうか。 実際、作中の殆どはただ少年少女が森を彷徨っているだけですから、 物語としてどれほど魅力的かと言われますと、 まあ、種々のアクセントたるイベントが起こってはいますので まったく魅力的でないとは言いきれませんけど、 やっぱり平坦だな、と思わざるをえないのであります。 って、何かの演説みたいだな。 全体に漂う、この怪しげで、どこか幻想的で、 繊細で、緊張感を孕んだ雰囲気。 これが一番の特徴でしょうか。 とても現代的なライトノベルだなあ、と感じます。 そう、いわゆる文学作品を拒絶するような、 それなのに目指すべきところが同じであるような、 どうにも不可思議な感触がするのです。 このシリーズで面白いなあと思うのは、タイトルにも入っているし 物語の中心にいるかのごとくな「ブギーポップ」が 出し惜しみされてると言いますか、なんと言いますか、 ここぞ、というときにふいっと出てくるだけなのですね。 主人公ではない。なのに一番おいしいところだけ、 ぽんっと攫っていってしまう。裏主人公? このお方は何を知っていて、何を知らないのか? 他に特徴として、問題としてあげた通り、シリーズ全体を読まないと いまいち意味不明な部分が多いのですが、その理由はやはり、 特にその物語の主軸とは関係ないのに、 その舞台を使いたいためだけに現れるエピソード、でしょう。 本作では霧間凪の部分は、1つの作品としては何も必要がないし、 雨宮美津子の部分だって、次回以降の作品の伏線以外のなにものでもない、 ということをあからさまに示すような描き方がなされています。 これが物語の方向性を拡散させているように思うのですが…、 よく言えば全体に膨らみをもたせている、とも言えるかもしれません。 とりあえず、興味を持たれた方は、シリーズの最初から お読みになることをお勧めいたします。 |
170. 「鄙の記憶」 内田 康夫 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
2005.08.31 | 長編 | 414P | 600円 | 1998年4月読売新聞社 2000年11月幻冬舎 2002年4月発行 |
幻冬舎文庫 | ★★★+★ | ||||||||||||||||||||||||||
浅見が臨む静岡寸又峡と秋田大曲の連続殺人 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
正統派、浅見光彦。 <100字ブックトーク> 静岡の寸又峡で「面白い人に会った」という言葉を残しテレビ記者が殺された。 事件を追う老新聞記者と浅見光彦は現場で出会い、友情が芽生え始める。 だが老記者は手掛かりを追って出掛けた秋田で姿を消してしまった… (100字) うっわ、あらすじしか書けなかった。。。 駄目だ…、これじゃブックトークじゃなくって単なるストーリー紹介だよ。 本書は2部構成になっていて、前半の舞台が静岡県の寸又峡、 後半の舞台が秋田県の大曲であります。どちらも「鄙」と言ってよい土地柄。 ただし、その雰囲気は両者で異なっている…と作者の自作解説。 菜の花の印象としては寸又峡は、自然の中に人が少しだけ、 入り込ませて頂いている、というイメージであり、 大曲はどこにでもありそうな地方の町という感じでした。 いや、どこにでもありそうどころか、 菜の花の住んでいた土地柄に結構よく似ているぞ、と。 地方都市、だけどちょっと山の方に行くと昔の庄屋さんのお屋敷が…、 なんてねえ、何となく日本らしいなあと思う菜の花なのです。 そして1部と2部の違いは舞台だけでなく視点(主人公)も。 1部では老新聞記者の伴島 武龍、2部では我らが浅見光彦が主役です。 勿論、1部でも浅見光彦は出てきますし、 2部でも伴島は重要人物としてその名が散見される存在です。 なかなか味わい深いつくりになっていますが、 どのように味わい深いかは、実際に読んで確かめて下さい。 ミステリにも色々と種類がありますが、 本作は…というよりも内田康夫はというべきかもしれませんが…、 どのように殺したのか?というHow?のトリックが皆無と言っても よいかと思います。王道ミステリと言えば、やはりこの部分が 大変重要な訳ですが、本作にはHow?の疑問はありません。 ああ、突き落としたんだな、とか首を絞めたんだな、みたいな とにかく殺し方が猟奇的だとか、特徴的だとか、そんなものはありませんし、 そこに疑問の余地もなく、変に凝ったりせずにさらりと流されていきます。 このあっさり感が「ああ、ポイントはそこじゃないんだ」と 読者にも了解しやすく、Why?の謎解きとフーダニットに 物語の焦点が合っている、ということが分かります。 勿論、ここを強調するのは、そうでない作品にもよく出会うからです。 衝撃的な死は読者を引き込み、印象付けますけれど、 実際の論点がそこでないという「的外れ」な物語もあるのです。 本作は無用な部分をさらりと流し、浅見の視点はまっすぐに まだ見えぬ犯人を見据えているということに安定感を感じます。 また、これは派手な殺人劇で注目を集めなくとも、 地の文で物語を読ませてしまう魅力を自らの筆が持っているという、 作者の自信のあらわれであるようにも感じます。 |